1,738円(税込)
ブランドについて/ BAT DEVICE(バット・デバイス) コウモリのマーク「バット・デバイス」をロゴに使用したスピリッツ、バカルディは、バーテンダーから絶大な信頼を得ている世界 No.1ラムです。 創業当時から、他のラムと明らかに違っていたそのスムーズなフレーバーは、様々なカクテルに使用されてきました。キューバリブレ、ダイキリ、ピニャコラーダ、モヒートなどのトロピカルカクテルには欠かせないスピリッツであるだけでなく、近年ではミクソロジストたちによって様々なオリジナルカクテルに使用されています。 BAT DEVICEバット・デバイス バカルディ社が創業後まもない 19世紀後半のキューバは、まだ文盲率が高かったため、一般の人に自社のラムを識別してもらうために、ドン・ファクンドは印象的なマーク(商標)を必要としていました。それを助けたのが彼の妻ドーニャ・アマリアで、彼女は蒸留所に入った時、垂木にフルーツコウモリが群生しているのに気づきました。芸術愛好家だった彼女は、キューバの絶滅した先住民タイノス族が、コウモリをすべての文化財産の所有者とみなしていたことを知っており、当時の人々もコウモリが健康、富、家族の団結などをもたらすものであると一般的に信じられていることも知っていたのです。 ドン・ファクンドはこの「コウモリ」を自社の商標として採用し、その後人々に「ドン・ファクンドのラムはコウモリのラム」として広く知られるようになります。 ブランドヒストリー <設立> キューバのサンチャゴにて、スペインから移住してきたワイン商ドン・ファクンド・バカルディが、粗削りで粗悪なラムの品質をいかに高めるかに生涯を捧げました。ドン・ファクンドは独自のイースト菌を使用して蒸留されたラムを世界で初めてチャーコールろ過し、独自の方法で熟成させてブレンドすることによって、洗練されたまろやかな味わいのラムを創る事に成功します。 当初、自分の家族の為だけに作っていたその高品質のラムは瞬く間に人々の間で評判になり、 1862年、ドン・ファクンドは小さなトタン屋根の蒸留所を買い取り、自分の名前を冠した会社を設立する。 <禁酒法とバカルディ> 19世紀終わりから20世紀初めにかけて順調に成長していたバカルディに訪れた初めての危機は1920年にアメリカで施行された禁酒法でした。 禁酒法によってアメリカ国内でアルコールを飲むことのできなかったアメリカ人にとって、地理的にもアメリカの近くにあるキューバは、その当時理想の観光地となります。アメリカからの観光客はキューバに滞在する間にバカルディの美味しいカクテルに出会うことになります。 当時マイアミとハバナの間で運行していたパン・アメリカン航空は「ハバナに飛んでバカルディの中に飛び込もう!」と宣伝し、雑誌フォーチュンは「ハバナの街中でバカルディがスペイン語でコウモリを意味すると思い込んでいる大勢のアメリカ人がダイキリを浴びるように飲んでいる」と報じています。 アメリカ人観光客はバカルディをアメリカに密かに持ち帰り、禁酒法の時代においてもバカルディの評判は衰えることはありませんでした。 <国際的なブランドへ> 禁酒法の時代が終わり、アメリカに積極的に進出しようとしたバカルディはアメリカの法外な関税を避けるためにアメリカの自治領であるプエルトリコに蒸留所を設立する。 キューバに魅せられ、ハバナにあるバー「エル・フロリディータ」で伝説的なバーデンダーであるコンスタンテ・リバライグァの作るダイキリを飲んでいたのが、アメリカ人作家アーネスト・ヘミングウェイでした。コンスタンテの作るダイキリをヘミングウェイは自らの小説の中で絶賛しています。そしてヘミングウェイについて書かれた伝記の中で紹介されているダイキリのレシピには、使用するラムとして勿論バカルディが明記されています。 第 2時世界大戦後、順調に成長していたバカルディに訪れた最大の危機は、1959年に起こったキューバ革命でした。国内にあった全ての私有財産はカストロ政権によって接収され、その他多くの自由を求める人々と共にバカルディは秘伝のレシピを持ってキューバを脱出します。 革命後バカルディは以前から海外に築いていたバハマやプエルトリコなどの拠点に活動を移し、世界的規模で活動を行い、現在では世界中で最も売られているプレミアム蒸留酒の1つとなっています。 ドン・ファクンド・バカルディが 19世紀の後半に創り出した世界初のまろやかなライト・ドライ・ラムと、より時間をかけ熟成される味わい深いフレーバーのあるゴールド・ラムそしてダーク・ラムは世界中でラムのスタンダードとなっています。 多くの人間がバカルディを真似た商品を作ろうとしながら誰もその品質に近づくことができていません。この事実こそ世界中の品質にこだわるバーテンダーがバカルディを使い続ける理由なのです。 |